「オーストラリア人が見た今どきのオーストラリア人」

ある英字新聞でこんな記事を見つけました。
日本に20年近く住むシドニー出身のオーストラリア人が現在のオーストラリアについて感じたことです。

「家の中では靴をはくし、流しに水をためてすべての皿を洗ってしまいます。ゴミは分別しませんし、大きな家に住み、道を歩けば、家の中はまる見えです。

誰もが犬を飼い、プールを持ち、それから大きな車を2台所有しているけど、決して洗車をすることはありません。夕方6時には家に帰り、皆が「相棒」と呼び合い、「フットボール」の話をします。

カップルは手をつないで買い物をし、子供たちは、学校に帽子とサングラスで登校します。夏にはクリケットが一日8時間、連続で放送されますが、誰も退屈しません。」

私はオーストラリアへ行ったことがないので「えー、そうなんだ。」としか言えませんが、アメリカ、カナダもクリケット以外は似ているような気がします。

逆に、海外に長く住んでいる日本人からは、現在の日本はどのように見えるのか聞いてみたいですね。

行列のできるドーナッツ店

どこのお店のことかすぐわかった人も多いことでしょう。
浜松に住む私には縁のないことだと思っていたのですが、先日、東京出張帰りのなおとさんがお土産にとスクールに届けてくれました。

“Krispy Kreme Doughnuts” 有楽町イトシア店

噂のドーナッツがとうとう食える!
(今頃、珍しくないよと笑われそうですが・・・)

私以上に喜んだのはジョウル先生とシェイン先生でした。
アメリカを懐かしがって歓声があがりました。
ドーナッツの国から来ただけあって二人ともそのおいしさをよく知っていました。
ダイエットを気にしている嘉子先生も「今日だけは特別です。」といってパクリッ!

スタッフ一同大騒ぎでした。

生徒のみなさん、スタッフだけで食べてごめんなさい!

嘉子先生、三味線に挑戦!(9月号追加の話題)

えいこさんのお宅でのホームパーティーに招かれた時の出来事でした。

ピアニストでもある、ちほ先生は三味線も弾きます。
嘉子先生は果敢にもちほ先生の指導のもとに初めての三味線に挑戦しました。
驚いたことに最初から音が出たのです。

しばらく練習していると「小唄」という感じの曲が弾けるようになったのです。
ちかちゃんが歌も付けてくれ、ほろ酔い気分にはちょっといい感じ。
ちほ先生は英語ばかりでなく、三味線の指導も上手なんですね。
嘉子先生はこれからちほ先生をお師匠様と呼ばなければいけませんね。

カナダでバグパイプの生演奏を聴いたことがありますが、初めて聞く生のバグパイプの音色には感動しました。

意外に日本の伝統芸能の楽器演奏を聴く機会は日本人でもほとんどないですね。

一緒にいた、ジョウル先生やシェイン先生も初めて聞く三味線の音に興味津々でした。
アメリカ人の二人にとって、あの音色と歌はどのように聞こえたのでしょうか?

ようこそ、マガジン9月号へ

北京オリンピックも無事終わりました。
「ペキン」という日本語でなく、”Beijing”という英語を覚えるきっかけになった人も多いと思います。
オリンピックを見ていて思ったことは、メダルの数や色は関係ないということです。 それぞれの選手の頑張りには感動しました。
私はスポーツ評論家ではないので、どの選手もがんばっているなーという印象しかありませんでした。開会式と閉会式には驚きました。
金かかってるなー。
中国は本当にお金持ちになったのですね。
ただ、マスコミ統制や軍による過剰な警備には、違和感を感じた人が多かったと思います。
とにかく無事に終わって何よりですね。

次のオリンピックはバンクーバーだ! 

次の夏のオリンピックはロンドンですが、2年後の冬のオリンピックはバンクーバーです。
メイン会場はバンクーバーでアルペン競技はウイスラーなど、私の知っているところばかりで、もう既にわくわくしています。

その昔、バンクーバーに住んでいて、まだ、メタボではなかったころ、冬のスキーシーズンは毎週末のようにウイスラーへスキーに出かけていました。
現在の釣り竿を持ち歩く姿とは全く違っていました。
オリンピックで、どのコースを使うか楽しみです。
きっと、英会話のパシフィック私設解説者になってしまうでしょう。

「変わらずに其処にある事のありがたさ。」

先月号のメルマガにどうしても書きたかったのに、涙がこぼれて書けなかった事を今回は書きたいなと思うし。ってだいぶずれちゃったけどね。

6月末の金曜日の夜に夫ポンチチとさぼてんビルを訪ねたんだ。 何だか懐かしいさぼてんビル、夜はちょっと危険な感じのする界隈だし。 数年前にしてたようにいつものようにエレベーターのボタンを押し、英会話のパシフィックのドアを開けた。
英会話のパシフィックはいつも同じ匂いがするんだ。 独特ななんか懐かしい匂い、全然変わってなかったし。 ただ受付に浅井先生がどっしり座ってなかったんで、ポンチチと「あれっ?」だった。 マジで座ってて欲しかったし…そしたら間違いなくタイムトリップの気分を味わえたのにーー。

カウンターには宿題のノートが乗っかってた。 そうそう、毎回ブルーエイザーの宿題提出してたしーと懐かしい。
と男性の外国人の先生が、顔を出して、固まる私。 「えーと怪しいもんじゃないんで。」と顔でアピール。 と英語だと雄弁になるポンチチが、笑顔で英語で話してるし。
オオーッ、英会話のパシフィックは変わらないけど、何だか私、とっても英語を話すことに臆病になってるなあと落ち込んだ。 どんな時も物怖じしないのが売りだったのにねえ。

でもって浅井先生登場、相変わらずの浅井先生だった。 でもちょっと柔和になった感じがした。 初めてパシフィックを訪ねて行った日、浅井先生の目はもっと厳しかった気がするし。 「本気で英語をやる気なんだろうか?この人?」とじーっと見られてた気がしたし。

授業の終わった生徒さんが出てきて、ちょっとだけ受付が賑やかになり、でもってカリフォルニアからやって来た女性の先生が、カリフォルニア英語で話し出した。
一瞬固まった南半球在住夫婦、ポンチチと目で合図「おめえ判るか?あの英語、オラはなんとか聞けるような気がするけど、難しいっぺよ。」と私。
「オラもだーー、南半球の英語とは違うっぺよ。 オラ達、アメリカのドラマも見てるけど、カリフォルニア訛りは吃驚だっぺよ。」とポンチチ。

そう南半球在住の私達には耳新しいカリフォルニア英語だったし。 しかも早いし。 南半球って英語のスピードも遅いのか??と夫婦でギョッ?だった「NYには行けないねえ。NZが精一杯だっぺ、オラ達には。」だった。

でもって嘉子先生も登場、相変わらず若かった。 お世辞じゃなくて一ミリも変わってなかったんだ。 何だか嘉子先生の文法の授業滅茶苦茶受けたいって思った。 あんなに楽しい文法の授業って初めてだったし。 老いた脳でも、英語圏に住める所まで行けたのは、あの嘉子スマイルと嘉子ボケ(すみません。)のおかげだと疑った事は無い私。 本当に英語に自信のない今、受けたら、また元気が貰えるだろうなと思ったんだ。

何だかね胸が一杯になったんだ。 私があちこちウロウロしている間にも、パシフィックは変わらないでずーっと其処に存在して、英語を学びたい人が私が数年前にしてたのと同じように、仕事終わりで疲れてるのに夢を抱いて、教室に通ってる。 なんだか自分のスタート地点を確認できたような気がして、変わらないことの心地よさ素晴らしさを見た気がした。 変わらない事って簡単に思えて難しいんだよね。 本当に「ただいま!」って思った。 そして、「またいってきます!!」ってさ。

浅井先生の行きつけの素敵な飲み屋さんで一緒に飲ませてというか、食べさせていただいたんだけど、そこのお店の丁寧な仕事ぶりにも驚かされた。 さすがだなって思った。 ジョッキがキーンと冷えてるし、小鉢の味も素晴らしかった。 勿論、メインは言うまでも無く。
手を抜かないって凄いなって思った。 ラリアって大雑把な国なんで、日本の繊細さを忘れかける時が多いし。 ポンチチも「やっぱり日本ってレベルが高いね。」と呟いてた。

浅井先生と嘉子先生とお喋りしながら、変わらない二人の信念が素晴らしいなってまた思えた。 二人が同じ夢に向かって生きてるし。 英語と言う武器を持つ日本人を増やしたいって言う。 でもって絶対にぼったくりはしない、でも甘い事ばかりも言わないぞって言う。

信念を貫くには自分のもうちょっと厳しくしないとなあと、タルタルのお腹を見てやや反省、でもって一番やりたかった留学生のサポートという仕事を諦めて、食うためにDAをやっている自分にもちょっと幻滅したんだ。 ってね昔のように留学生が日本から一杯来てくれれば食えるのにねえ留学業界…閑古鳥なんだ悲しいことに。

でも何時か、必ず、本当に英語を学びたい人のサポートをしたいって思った。ポンチチも一緒にさ。 勿論シェフとDAは続けながらだけど、浅井先生と嘉子先生に会って、また新しい宿題を貰った気がした、ライフワークになりそうな宿題をさ。

いつまでも先生なんだお二人はさ。 私の永遠のさ。そしてパシフィックは故郷なんだ。ずっと変わらないで居て欲しいんだ。 またラリアでの極貧暮らしに疲れて指針を失いそうになったら夫婦で訪ねますから。 だし。
写真は我が家の窓からみた気球です。 こんなのが時々飛んでますブリ。